2020年05月04日

シン・ゴジラ

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何回見るのと言われそうだけど、何回でも見る。
見られるなら。何度でも。
これのレンタル代だけで、アマプラ年会費まるごと
もとが引けてる気さえする。

ストーリーが好きというよりは、セリフのテンポが
耳に馴染む。
邦画にはありえない速度のセリフ回しを、
本来かわされる筈の情報量をねじ込んで、
その上でギリギリ2時間に収まるのだと
声優に実演させて立証してから芝居させたという
話が好き。
このテンポに慣れない人には、意味のわからないことを
まくしたてられてるだけの科白劇でしかないかもしれない。
実際、まくしたてられた勢いでそれが「本当」かとか
「正解か」ってのはあんまり考えなくていい流れなのかも
しれない。
自分にとってはこれが気持ちよくて、
ついでに「怪獣映画につっこみたかったこと」が
ある程度回収されていて、見ていて楽しい。
シン・ゴジラを見終わると、そのまま1作めの
ゴジラを見たくなる。

自分が初めて見たゴジラは、恐怖映画としての怪獣映画が
時代を終えつつある頃だったのだと思う。
怪獣映画が娯楽映画に舵を切った頃だと見たあとに知った。
白黒のゴジラは、シン・ゴジラのあとに見た。
この最初のゴジラを見てしまうと、ゴジラを
好きだった人が、自分のできる技術で
「今のゴジラ」を描こうとしたのだと、改めて感じてしまう。
シン・ゴジラを見ると、ゴジラを見たくなる。

旧ゴジラで描かれた、日常と非日常。
社会問題と、一般の意識。
専門家と、個人のこだわり。
シン・ゴジラの政治劇が気に入らない人もいるかも
しれないけれど、自分はしったこっちゃない。

作戦の地味さも、好き。
物理攻撃の通じないイキモノの活動を内部から
停止させるしかない、という選択は
おそらくあの状況においては、正しい。
正しいかどうかの議論ではなく、あの世界で今、
唯一成功するはずの希望の持てる手段に
全力投球した結果、というのがいい。

そこにファンタジー以外の正解を求めるのは
無粋だ。

そういう意味で「現在の日本の持てる技術で
想定できる現代の理論で考えてみた
ゴジラへの対抗策を描く」という点では、
シン・ゴジラはちゃんと一つの解を描いていると
ぼくは信じる。
この先、核を超える技術は生まれるかもしれない。
ゴジラがなんの驚異でもなくなる時代が
来るかもしれない。
そのときに、今の自分が最初のゴジラを見たときのような
「あの頃の時代が感じていた技術への恐怖」を
誰かが感じたのだとしたら、ぼくが好きなシン・ゴジラは
きちんとぼくにとってのゴジラだったのだと
確かめられるのだと思う。

20200501
20200504
posted by まきむら at 05:50| Comment(0) | メモ